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2012年09月05日(水)14:33しあわせ風船 町の広場は、いつもの仲間が集まって遊んでいました。カエルの親子や、おサルのモンちゃん、ネズミのチューくんなど、今日も一緒に仲良く遊んでいました。でも、今日は何やらヒソヒソばなしをしています。というのは、この町にもしあわせをみんなに分け与えてくれる風船がやってくるからです。町のにぎわいは、いつもとちがい、ワイワイガヤガヤです。 そのしあわせ風船を運ぶ兄弟は、兄の名前がピーター、弟の名前がパンターです。この風船を持っているものは、この兄弟だけなのです。他には誰も持っていません。みんなは「どうしたら、あのしあわせ風船をもらえるのだろうか?」「どうして作るのだろうか?」と不思議そうに考えていました。 今日はそのしあわせ風船がこの町にも、やってくる日なのです。 町の中は、いろいろな仲間がたくさん集まりました。ネズミのチューくんは、早くほしくて、この場所へ一番はじめにやってきたのです。 「もうこの町にも来てもいい頃なのになぁー」と待ち遠しそうに、あっちにいったり、こっちにいったり大変です。 すると虹の向こうから、すいすいと泳ぎながら、こっちに向かって近づいて来る、二人の姿が見え始めました。町の仲間たちは「あれだ、あれだ!あれがしあわせを運ぶ兄弟だよー」「とうとうやってきたんだねー」と大変な騒がしい様子です。 その「不思議な風船」「しあわせの風船」を持ってきた兄弟は色々な夢をつめた風船をもってこの町にやってきたのです。 兄のピーターは「この町には、町の仲間がしあわせに、そしてケンカをせず、仲良く暮らしていける風船をおいていこう」そういって、ひとつの赤い風船をおいていきました。みんな大喜びです。 「ありがとう!」二人の兄弟に大きい声でお礼をいいました。 このしあわせを運んでくれた兄弟—。次はどの町へ行くのでしょう?明日はあなたのお家にやってくるかもしれませんねー。 保育士 谷口千鶴子
註 昭和52年5月25日 第10号 曽師保育所『園だより』より。 保育所の玄関脇にある壁画(写真)をみてお話を作りました。
イナイ イナイバァー 平成24年8月4日
給食の前、0歳児クラスの子どもたちは絵本や人形、お手玉などで思い思いに遊びに興じていました。そんな中、Sちゃん(1歳9ヶ月)とTちゃん(1歳6ヶ月)ちゃんは、床に座って背中合わせに自分の好きなおもちゃで遊んでいました。と急にSちゃんが立ち上がるや、部屋の隅のベッドめがけて駆け出し、下にもぐりこみました。と続けてTちゃんも追いかけて行き、彼ももぐるかと思いきや、ベッドの前に立ちふさがり、下にいるSちゃんに「バァ〜」といってしゃがみました。同じ動作を何回かくりかえし、お互いに興じ会っている様子です。まさに「イナイ イナイバァ〜」の遊びです。 ところが、立っているTちゃんが「バァ〜」をはずしてしまい、期待していたベッドの下のSちゃんははずみをくらって、不思議そうに相手を捜す様子に、Tちゃんがそのことに気付き、「バァ〜」と答えていました。二人は顔を見合わせて大笑いをしていましたよ。 私は、二人のこの微笑ましい光景を垣間みて、子ども同士の関わりが、「イナイ イナイバァ〜」ひとつで、こうも深まることかと、感心しました。 保育士 川畑かおり
ある店員さん 平成24年7月4日
二ヶ月振りだろうか。二週間に一度は通っていた行きつけのらーめん屋に顔をだした。後方の隅の座席に腰を下ろすなり、30代位の女性の店員さんが「あーお客さんでしたね。来られるのを待っていたんですよ。あの時は間違ってらーめんをお配りし、すみませんでした。食べられた後に気がついて、今度見えたら謝りたいと毎日毎日お待ちしていたんですよ。でも、中々お見えにならないので、もしや、お気を悪くされたのではないかと、気が気でなりませんでした」と一気に話され、私の方がちょっとためらっておりましたが、すぐに思い出しました。 「あー、あの時ですね。少し味が濃かったと、思いました。でも、もう忘れていましたよ」。 「そうですか。こうして又来て頂いて本当にありがとうございました」と深々頭をさげ、胸につかえていた痛みがとれていく様子が、端からもわかる様子でした。 定期的に食べたくなるらーめん。私は決まって、そこのその味のらーめんを食べたくなる。同じ素材、同じ味の塩らーめんを。今考えると<塩らーめん>を<らーめん>と間違えられたようだ。見た目は全く同じで味だけが違う。 その日は、注文して食べながら、「どうしたのかなぁ、いつもの味と違う、もしかして料理の責任者が交代して看板のみは同じなのかなぁ」とあれこれ思いめぐらしながら頂き、他においしいらーめん屋を見つけなければとも、思ったことでした。 折しも事情があってしばらく通えなかったので、次に行く時は、全く記憶になく、やはりあのおなじ味をもとめて訪れた次第です。身体が要求したのでしょうね。 それにしても、また来てくれるだろうか、私が来たら謝ろうと、二ヶ月も待っていてくれた店員さんの、お客に対する深い謝罪の念には、見習うべきだと思いました。 猪俣美智子記
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