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2009年11月11日(水)10:37河野元満氏−カメラのおじちゃん− 1976年(昭和51)10月1日、当所を開設して33年になる。その間私は2003年3月31日までの27年間を所長として勤めた。保育所では、子どもたちにとっての保育行事として、入所式、七夕のゆうべ、ちびっこうんどうかい(後にちびっこフェスタ)、保護者の保育参観、クリスマス会、親子遠足、卒園式、と行事をしてきた。その記録を、8ミリカメラやビデオに収めてきた。 縁あってそれの作業をして頂いたのが、タイトルにあげた河野元満氏である。最初の出会いは、昭和60年9月の第9回ちびっこうんどうかいを8ミリカメラに収めてもらった。また、ビデオカメラが出始めた頃でもあった。それから河野氏がお亡くなりになる平成14年3月の16年間に60本の撮影をして頂いた。時代の波に押されて、8ミリからビデオに仕方なく切り替えられていかれたのが、昨日のことのように想い出される。 さて、私は今ここで、何を云おうとしているのか。これも又、時代の波に押されてビデオカメラから、デジカメラが主流となり、そこで、8ミリやビデオをDVDに保存しなければ、という使命感にかられて、過去のテープの整理を始めた。整理しながら、河野氏の当所にとっての功績やその人となりを懐かしく思いかえすのである。
彼(親しくそう呼ばして頂こう)は、傍ら子どもたちのスナップ写真にも長けておられ、かなり撮影して頂いていたので、子どもたちに街なかで出会っても「カメラのおじちゃん」と呼ばれていた。暇があると事務室にぶらりと立ち寄られ、雑談や、さては写真の撮り方など私自身教わった。走馬灯のようにあんなこと、こんなことがあったなぁ、といろいろな場面が浮かんできて感慨無量である。
この稿を締めるにあたって、最後に当所にとっての圧巻を認めておこう。 何をかいわんやである。 フィンランドで開かれた1987年国際アマチュア映画祭で、見事、特別賞を獲得されたことである。題して『ある保母の手記』。 当時の当所の主任保母を主役として、女性と仕事をテーマにした、悩みや喜びを描いた作品である。その物語はさておき、彼のことについてある雑誌に私が寄稿したものがあるので、敢えてここに披露したい。 「河野さんには、当保育所が昭和61年に10周年を迎えた時、何か記念になるようにと、『ちっちゃな園児達は今』というタイトルで、記録映画を作ってもらいました。そして第二作目が、特別賞を受賞された『ある保母の手記』です。半年にわたって撮影されたのですが、非常に誠実な方で、また撮影が進行していくにつれ、感性の豊かなお人だなぁと理解するようになりました。たとえて言うなら、表面は静かな湖面、しかしその内には神秘的な謎を秘めたマリモ−それが河野さんの魂ではないのでしょうか。 他の作品を拝見させていただくと、とてもいきいきして作品が若く、色気があります。それがそのまま、河野さんの内なるマリモのように見えます。」注
思いは尽きなくとどまる事を知りません。もし今も生きていられたら85歳になられます。ここにはるかなご冥福をお祈りすると共に、この稿を閉じたいと思います。 2009年11月 猪俣美智子
注 『百歳万歳』10周年記念号 発行所 株式会社百歳万歳社/昭和63年 4月15日発行
雨の日のこと
9月29日、久しぶりに雨が降りました。保育室よりYくんが(3歳5ヶ月)、空を見上げ「こら、言うこと聞きなさい!」と言っているのを不思議に思い、私は近づき、側に行きました。「何してるの?」と尋ねると、「Yくん、ぽかぽか晴れが好きなのよ、だからお空に雨がやむように言ってるのよ」と言っていました。空がよく見えるように、窓や網戸を開けると、他の子どもが7~8人やって来て、窓のさんにぎゅうぎゅう詰めに座り、Yくんと同じように空を見上げます。Yくんと同じように、空に向かって「雨―やんで」と言う子どもの姿も見られました。 すると、その様子を見たSちゃんが(3歳2ヶ月)、保育所の園庭東側に咲いているおしろいばなを指差し、「お花や草が、お水おいしいーって言ってるよ、たくさん飲みたいって」と言いました。それを聞いたYくんは、しばらく考え、「じゃ、いっかー、たくさん降ってー」と今度はお願いしていましたよ。 同じ雨でも色んな考えがあるのですね、子どもたちの可愛い姿でした。 (日高由香子 記) 手のひらサイズの知事さん
Tくんが、東国原知事さんの出席するイベントへお母さんと出掛け、強烈な印象を受けたのは5月の事でした。 その後、宮日新聞に載っていた、スーツ姿で話をしている知事の写真(縦6cm×横3cm)を切抜いて、Tくんに見せたのです。 保育士 「Tくん、これ誰?」 Tくん 「おじちゃん!」 保育士 「え、おじちゃん?」 Tくん 「うん、おじちゃん」 少しがっかりし、その後、お母さんに、そのイベントの時の知事さん事を尋ねました。どんな服装で、どの位の距離があったかと。 白っぽい作業着で、Tくんとの距離はけっこうありましたよとの答え、しかし、Tくんには、どのようなイメージで知事さんを認識しているのだろうと考えていました。
その切抜きを、保育室内の壁に張り付けたまま夏から秋に季節が変わりました。 9月上旬、その切抜きを他の子どもが「取って、見せて」と言って来たのでテープをはずし渡しました。すると側を通りかかったTくんが「わぁ〜知事さんだ!」と嬉しそうに反応していました。数ヶ月前までは、「おじちゃん」だったのに今では「知事さん」と反応したTくん。マスメディアから入る情報で覚えたのかもしれません。 知事の切り抜きを小さな両手で包み込むと、近くにいる保育士や友達に「見て〜知事さんだよ」と見せ、言葉が返ってくる度に得意げな笑みを浮かべていました。 手のひらサイズの知事さんはTくんにとって大切な宝物のように見えました。
その日保育所の帰りの車の中。 Tくん 「お母さん?Tくんの知事さんは?」 お母さん 「えっ?知事さん」 Tくん 「うん、知事さん。Tくん、知事さん、保育所、忘れちゃった!」 お母さん 「明日、保育所に行ったら知事さんあるからね」 Tくん 「うん、やったー!」
Tくんは、みんなに知事さんの記事を見せて回っている途中、お母さんの迎えに喜び、そのまま忘れて帰ったのでした。 (2歳児担当 日高由香子 記)
保育所と保護者の連絡帳からTくんの母親よりー。 7月17日 金曜日 昨夜、テレビのニュースを見ていると、「東国原知事」が出ていました。テレビを見ていたTくん「あーしゃん(お母さん)見て見て、知事しゃんだよ」と私の背をたたいて来ました。テレビに映っている知事さんに話しかけ、左手の指を見せ「Tくん、痛い!痛いしたの?治った?」と話していました。あれ?と思ったのですが、手を挟んだ事を思い出しその指を見せていたのです。我が子なりに、へぇーと思った瞬間でした。 (*ドアで手を挟み、指に血まめが出来たそうです)
7月30日 土曜日 昨日、家に帰る途中、コンビニに寄りお買い物。店頭に置いてある「Palm’s」月刊情報誌の表紙の写真を指差し、「あーしゃん(お母さん)見て、見て、知事さんだよ」と教えてくれました。Tくんは、「Palm’s」を両手で大事に持って私の所へやって来ました。 車の中でもずっと見ていたTくんでした。 家に帰り着いたTくん、駆け足でじいちゃん、ばあちゃんに知事さんの載った本を何度も見せていました。寝てしまう前まで、「Palm’s」を握っていたTくん、よほど気に入った様子でした。 *過去のご挨拶、2007/06、2007/07にアクセスして下さい (2歳児担当 日高由香子 記)
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