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2010年02月28日(日)17:55「アスレチック関屋」関屋知学講師をお招きして 2月10日に第4回 曽師保育所 教養講座が行われました。これは職員の為の講座で視野を広げたり、知識を得たりと保育以外の事を行なっています。 今回は、現在宮日文化情報センターや宮崎県消防学校で講師をされているウエイトトレーニングジム「アスレチック関屋」の関屋知学先生を講師に迎え「トレーニング理論と実践」のテーマで行なわれました。
理論的な専門用語も多々ありましたが、私の捉えた感想を述べたいと思います。 規則正しい生活を送り適度な運動、十分な睡眠、バランスの良い食事が体に良い基本的な方法であり、年齢、体力を考慮し、自分にあったトレーニングをすること、そして、しっかりとした目標を持ち、あきらめず継続するという事が大切だと言われました。それが良い身体づくりの基本となるのだと思いました。大人だけではなく子どもにも基本的な生活習慣を教え、発達に応じた運動が必要なのは同じではないかと感じました。 また、痩せたいと思い安易にバナナダイエットやりんごダイエットなどにとびつく人もいますが、スポーツ選手は努力に努力を重ねて一流といわれる選手になるのです。ダイエットも同じですと言われた時、努力なしに成功はないのだと思いました。 保育士という仕事をしていく上でまだまだ勉強する事もあり、体力も必要です。そして、自分自身には、「継続する」という事が足りないと改めて感じました。 今回の研修を機に目標を持って継続する事を自分なりに意識して行ないたいと思いました。
(主任保育士 川畑かおり 記)
アスレチック関屋ホームページ http://sports.geocities.jp/athletic_sekiya/index.html
療育と幼児教育 −水は方円の器に従う−
ここで療育という言葉を使ったが此の意味を考えてみよう。現代は職種も多様化し専門化して来たので、こんな言葉も自然に生れるべくして生れたのであろうか。保育と云わず療育と云う以上は児童に何等かの異常を感知して早く治療を施しながら育てることだと考えて療育と云っているのであろう。例えば乳児であれば、泣き笑いして教えるのですぐ分かるが、ミルクを与えたり何か身辺の清掃でもしてやればすぐに泣き止んだりする。この対応が即ち治療行為ではあるまいか。こんな処置をする時、過剰処置であったり又は助力者1人だけの判断で陥落した対策をしたり、又は突出した対策であったりすれば、これが児童に良い影響を与えたり悪い結果を植えつけたりするかも知れないことを考えると、療育に教育の基礎をなす幼児教育の方法論として捉えるべきものではないだろうか。 この子供の行動の上の異常の発見と処置とは、重要な教育の出発点であって、これはあくまで子供は水の如きもので「水は方円の器に従う」ものであることを信じて、いつ、容器或は環境作り、即ち対策のゆるがせにすべからざるものであることを教える。環境は人を幸福にでも不幸にでもなすものである。保育所は学校教育の前段階的存在で、学校教育上必要とする日常生活の生活習慣等に、園と保母と家庭とが共通の理解の上に立って、手を携えて当ればより効果的ではないかと考え、学校教育がよりスムーズに行なえる様にと願う使命を帯びている。かくして教育は、子供自身の備えている可能性を信じ、良い芽をのばし悪い芽を摘みとり、あくまで子供自身の力で内部の可能性を引き出す援助をすべきであって、まわりの者は良い環境作りをしたり、容器を与えたりして肥料の役目を果たさなければなるまい。良い芽を早く発見してこれを伸ばす手助けをすれば、その芽は天才的才能となるかも知れない。 又保育所は親の代りとなって保育するところであると同時に学校教育の前段階としての準教育機関とも云えるものであるから、子供が安心して喜んで小学校に通える様に、精神的にも生活習慣上からも、子供自身も内なる力を引き出し且つ、伸ばす様にと(エルチーフング)まわりの者は環境作り、容器作り等に外部的力を発揮すべきだと思う。
昭和57年3月
初代理事長 済陽(わたよう)良雄 記
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