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2012年02月25日(土)10:05「春のやよい」はどこ? 二月の節分の行事がおわると、ホールに大きなひな壇を飾ります。敷きつめた赤い毛氈のうえに並んだひな人形を見て、子どもたちは目を輝かせます。そして手にとったり、触ったりして好奇心いっぱいです。何しろ集団で弄(もてあそ)ばれては大変なので、「大事、大事よ」といって、眺めるように教えていきます。 そんなある日、お昼の給食がすんで広いホールに1人、ひな壇の前に立ちすくんで、サトウハチロー作詞の「うれしいひなまつり」の歌をうたっている2歳10ヶ月の男の子。ホールを掃き掃除しながら、じっと聞き耳をたてていると、何と、「あかりをつけましょ ぼんぼりに…」から始まって4コーラスの歌詞を一字一句間違わずにうたっています。しかし終わりがありません。何回も繰り返してうたっています。ホーキの手をとめて、拍子をとっている保育士に気がつき「ねぇ、ねぇ、春のやよいはどこ?」と質問しました。はたっと答えに窮し、「どこかな、どれかな」と、いつしょに、ひな壇を覗きこんでいると、ぼんぼりはあそこ、桃の花はここと指差しながら、お内裏様、おひな様、金のびょうぶ、といった具合にちゃんと言葉と物を対応させているのです。「右大臣は、この人よ」とも。そして「これは何?」に「菱餅よ」と教えました。 「うれしいひなまつり」の4番目の最後の方に、「春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひな祭り」の「春のやよい」はどれって言われても答えようがありません。「あなたがもう少し大きくなったら分かるよ」と言っても答えになりません。そこで、ひな壇の上あたりを手で示して「この辺よ、ここあたりよ。春のやよいは」と言えば、「ここが春のやよいね」「そう」と何となく意思が通じ合った場面でした。 この時この年齢では、そこに形がなくても、つもり遊びや見立て遊びが得意だから救われました。 ひな壇の前にて幼子歌いつつ春のやよいはどこと我にきく
平成24年2月 (猪俣 記)
屋上緊急避難所が出来ました 平成24年1月28日
2011年3月11日(金)14時46分に勃発した、未曾有の東日本大震災は生々しく、メディアを通して頭に焼き付いております。その時以来、当宮崎でも想定外の地震津波が起きた時のことを考えると、海岸に近く、周囲に高台もビルもなく、当保育所の避難場所のないことに気付きました。 ここは海抜4メートル、建物の高さは約8メートルで合計12メートル。せめて屋上に避難するしかないと思い、設計士に相談し、完成の日をむかえることが出来ました。 2011年12月22日に、日向灘地震、震度5強以上による津波警報を予想して訓練をしました。小さい子どもたちから順に職員たちが背中におんぶしたり、抱いたり、手を引いたり、又青組(2歳児)は自分たちの足で階段をのぼりました。職員は慌てふためきましたが、子どもたちは何のそのさっさと上りました。着くやいなや、広場を全身で駆け回っていました。うれしそうな顔、顔。その日はあまり強い風も吹かずに、格好な遊び場となり、リズム遊びの歌を先生が歌えば、子どもたちは自然に身体を動かしていました。 そのような避難訓練のひとこまでもありました。 しかし、実際に見舞われた時のことを考えると、3歳未満の子どもたちとあっては、職員たちの訓練が大切だとつくづく思ったことでした。 2012年1月/猪俣美智子 記
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