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2012年12月31日(月)11:33あけましておめでとうございます 新内閣のもとで、明るく平和な年で
ありますように、お祈りいたします。
百歳万歳 平成24年12月6日
結衣ちゃん(仮名 2歳5ヶ月)は毎朝、お母さんといっしょに保育所に歩いて通います。通りの家の前で時折おばぁちゃんに会います。 「元気だね。おはよう」と言われると、結衣ちゃんはにこにこして「オハヨウ」と言葉を返します。お母さんも何か一言挨拶をしています。 そんな微笑ましい光景をかいま見ていたわたしは、ある日結衣ちゃんのお母さんに、「いつもご挨拶していられるおばぁちゃんは、何歳くらいに見えますか?」と尋ねると「80歳くらい」との返事。 「100歳なんですよ。後3ヶ月で101歳になられますよ」と教えると、「えっ、えっ!」と目を丸くして、80歳と言ったことがとんでもない間違いと知り、手で口をふさがれるようにされました。 江崎ハルさん(仮名)は本当に100歳です。後3ヶ月で101歳になられます。顔色はつやつや、近くの道を押し車で寒い日中もよく散歩していられます。わたしも顔見知りで、よくハルさんと立ち話をします。 年を重ねていくのが嬉しい様子で、あと「半年」で、あと「みつき」で101になると、会うたびに語られます。小さい子どもが「ふたつになったよ」「みっつになったよ」と指を折って嬉しそうに言う、それとそっくりです。 ある日「自分には4人の子がいて、今は末の息子の世話で忙しい。仕事から帰って来るから、夕食の支度、洗濯、買い物は息子の車で店まで連れて行ってもらう。それに1週間に2回は娘が来てくれてあれこれしてくれる。今までひどい病気で医者にかかったことはないが、いまは時々足の電気治療に行っている。それより何よりも年金を貰えるので、子どもたちに迷惑をかけなくていい。ありがたい、ありがたい」と、そのような内容の話が続きます。そして「お仕事に行かれるのに引き止めて悪いですね」と。 今年、11月11日付けの日本経済新聞によると、「全国の100歳以上の高齢者が過去最多の5万1376人となったことが14日、「敬老の日」を前にした厚労省の調査で分かった」とあります。つづいて、「100歳以上の人数は調査開始の63年は153人、98年に1万人を突破。2007年に3万人、09年に4万人を超えた」とも。 100歳を超えても、江崎ハルさんのように元気でありたいものです。 2012年11月 猪俣美智子 記
おばぁちゃん 平成24年11月7日
職員のTさんの祖母が亡くなられた。当年90歳。老衰とのこと。まるで枯れ木が倒れるような大往生だった由。いまわの際まで頭がはっきりし、寝込んでそう日数は経っていない。聞けば身内の者には縁が薄かったそうだが、孫であるTさんとは親子のような関係で、その人生の後半を共に暮らしてきたそうな。 「今日はどうだった?子どもたちは元気だった?」 「そうか、無事でよかった」と先ず保育所から孫の帰りを待って案ずる。T さんは保育士である。 「大事な命を預かってるんだから、よーく気をつけるんだよ」と口ぐせのように言う。 最近、世の中は核家族化の傾向がみられ、小さい子どもたちの中には、おばあちゃんなるものを知らない子が多いようだ。 自分の子のエピソードで恐縮だが、私は毎晩、せめてこれだけはと思って、夜、休む時は絵本を読んで聞かせていた。『ももたろう』の絵本が大好きで、髪が真っ白で、腰がくの字に曲がったおばぁちゃんの絵が特に興味があり、こんな人どこにいるの?と子どもは好奇心を寄せていた。3歳の時だったと思う。川沿いを我が子と散歩していると、子どもが急に立ち止まって、何かに憑かれたように一点を見つめて動かない。どうしたのかと見れば、対岸を、腰を曲げて、エッチラ、ホッチラ歩いているおばぁちゃんの姿がある。 「あっ、あれがおばぁちゃんだよ」と教えれば、 「桃太郎のおばぁちゃん、桃太郎のおばぁちゃん」と奇声をあげて喜んだものでる。絵の中のおばぁちゃんが本当にいた! 我が子は魅せられたように、自分まで腰を折り曲げて、ずっと見入っているではないか!これほど貴重なおばぁちゃんは、そうざらにはいない。 おばぁちゃんー、何と響きのよい言葉であろう。当所にも4〜5人はおばぁちゃん子らしい子がいる。おばぁちゃん子は甘えん坊だからとも云われがちであるが、その内には、我々よりも先に人生を歩いてきた尊い経験と、それの知恵が脈々と流れていることを知るのである。 春の陽ざしをあびながら、野辺の送りの人群れのなかで思ったことでした。 猪俣美智子(当時所長)記 註:1977年(昭和52年)3月 「曽師保育所園だより」
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