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2012年06月06日(水)13:00はなしょうぶ 忙しい、忙しいー。これが私の口癖になっているようだ。人生いかに生きるべきか?生き甲斐とは?本当に何のために生きているのだろう。ふとそう思う昨今である。 二十代のころ、毎日単調な生活のなかに、瞬間的に自分を見失いそうになる時があって、そのような時は旅に出かけたものだ。それは、今はままならぬ。 市民の森(宮崎市内)の西園に「はなしょうぶ」が咲いていますという、小さな新聞記事が目に入り、「はなしょうぶ」という優美な名に、何か救いを求めて、さっそく行きたくなる。今日は、保育所は休日であるが、休日こそ貯まった仕事ができるので、朝から出勤して仕事に専念。 雨雲がただよい、出かけるには二の足を踏みそうな天気。忙しい、忙しい。でも行ってみたい。天気などかまわない。返って雨けむる広い水田の中にパーと白く咲いている菖蒲園を邪魔されることなく、ひとり満喫できるだろう。雨の菖蒲園、いいなぁーなどと空想する。 自家用車を飛ばして10分。咲いている、咲いている。見事である。白い花、薄紫、網目模様の入った紫。広い水田につぼみと、開いた花とが見事につり合って美しい。カッと晴れた日差しのもとより、薄日和の方がいい。胸のうちの急に大きく開かれるのを覚え、来て良かったーと心が和む。水田を一回りし、斜面に腰をおろし、その水のきれいなこと、又まじまじと目をやれば、葉の間より高く抜きんでて、たくましくかかげる花弁の美しさに惚れ惚れとする。画帳を持って来るべきだったと後悔する。 雨雲の間から、つかの間らしい陽が射しはじめた。人出が急に多くなってきたようだ。さぁ帰って仕事のつづきをやろう。今夜は二時くらいまで頑張ろうかな。忙しさに殺されてはならない。
これは1977(昭和52)年5月25日付け、当保育所の園だよりに掲載した、当時園長の私の記事である。 それから、35年ぶりに私は同じ「はなしょうぶ園」を訪れた。昨日(5月27日)まで「はなしょうぶ祭り」があり、その美しさは当時と変わらなかった。 平成24年6月1日 (猪俣 記)
みんなで「こいのぼり」をつくりました 平成24年5月2日
4月の中旬より園庭にこいのぼりが揚がりました。自分たちより数倍も大きいこいのぼりを見ると、子どもたちは口々に「やねより高い♪…」とうたったり、じっと眺めては遊び、又、思い出したように立ち止まって見たりしていました。 そこで青組(2歳児)たちは、いつも下から眺めているばかりでなく、同じ高さから、こいのぼりを見ようということで、3時のおやつを持って2階のベランダに上がることにしました。めったに2階に上がることのない青組の子どもたちは、早く行きたいらしく、「はやく、はやく」と保母をせきたてます。まだ2階の部屋には赤ちゃんたちが寝ているかもしれないということで、静かに上がることを約束したものの、その嬉しさはかくしきれずに「ワァー」といってはベランダの柵をわしずかみにして、こいのぼりを見ていました。 時々、風の向きでシッポがベランダ側にくると、おやつはそっちのけで、シッポをつかまえようとしたりして、それは、それは大はしゃぎでした。 2日後に保母が「こいのぼりをつくろう」と提案すると、さっそく「ピンクがいい」「青がいい」「小さいのがいい」と口々につくりたいこいのぼりを言っていました。先ず、一人でこいのぼりをつくりたいか、みんなで大きいのをつくりたいか、を尋ねますと「大きいのがいい」ということでしたので、大きいこいのぼりに決定。どうやって作るかを尋ねますと「マジックで」「ペッタンペッタンする」「マジックでぐちゃぐちゃする」といろいろ意見がでましたが、保母が「のりでつけようか」というと、「それがいい」ということでしたので、大きいこいのぼりに、色紙をのりでつけてつくることになりました。さっそくつくりだすと、無心に自分のまわりに紙をはる子ども、のりをつける紙に必死でつける子ども、小さい手でその子なりに一生懸命つくりました。そして、50分位で大きなこいのぼりができました。 保母が手にもって見せると、「ヤッター、ヤッター」と大さわぎ!園庭のこいのぼりを指さし、「どっちがかっこいい?」と聞きますと、「こっちがかっこいい」と自分たちのつくったこいのぼりを、とても満足そうに見ていました。 2歳児担当 山田真美 註・1987(昭和62年)4月 当所の園だよりから抜粋 ・保母は保育士のこと
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