社会福祉法人 アイリス康友会 曽師保育所 令和4年3月1日完成 建築家 歌一洋 元近畿大学教授
保育所へのアクセス
保育所の概要
行事カレンダー
育児方針
保育所の給食
園歌・園旗
保育所のニュース
ギャラリー
うたのひろば
施設長のご挨拶

■BGMをコントロールする■
2024年5月
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
- - - - - - -
こんにちわ
過去の『こんにちは』はこちらから ►  

記事一覧

2018年03月30日(金)16時44分

平昌オリンピック

 2018年2月9日〜2月25日までの17日間に行われた、平昌冬季オリンピックをテレビ観戦して胸を熱くされた方も多いのではないでしょうか。私はスピードスケート女子団体パシュートを見てとても感動しました。日本が個の力だけでなく集の力でオランダに勝ち金メダルを手にしたのです。一選手は、「勝因は終盤の追い上げで、自分の力だけではなく、他の選手がうまい具合に自分につなげてくれた結果でした」、また、他の選手は「自分の力だけではオランダに及ぶことはできないが、日本のチームワークがあったからこそ勝つことができたと思う」、という意味のことを、インタビューで答えております。まさに個人の持っている力を、集の為に発揮したチーム力の勝利と言えます。
 では、小さな子どもたちはどうでしょう。生まれてすぐに母親などの身近な人たちとの一対一の関係から始まり、生後6ヶ月頃には身近な人や周囲を認識していきます。保育所でも、保育者との一対一の関係から始まり個の力を育てていきますが、その後、保育者を介して他の子どもたちとの関わりを経験していきます。1歳頃の自我の芽生え、2歳頃の自立心の芽生え、そして3歳位になると集団の芽生えが生じてきます。5、6歳になると、仲間を意識して一緒に遊ぶ、物事を解決する、というように成長していきます。
当所は3歳未満児までの子どもを預かりますが、卒園して他園や幼稚園に行って、これまでに培ってきた個の力を十分に発揮して、集団の力を結集して欲しいものです。  
 曽師保育所を卒園された子どもたちが新たなステージで十分に個の力を発揮しつつ、楽しく集団生活を送ることができていければ、私たち保育者としてこれほど幸せなことはないと思います。
                                 所長 日高博史

2018年02月27日(火)14時22分

笑う

ファイル 63-1.jpg$

        竹のかごを かぶった
        犬張子 もってるよ
        よーく みると
        とってもこっけい
        笑っちゃう

        うちのポチに
        竹のかごをかぶせたら
        おどりだすかもよ
        笑っちゃう

        それはね
        犬が竹のかごをかぶると
        犬と竹という字で「笑」になるの
        赤ちゃんがよく笑って
        育ちますように と
        出産祝いの最高の贈りもの
        わたし 今でもそれをもってるわ
                                  写真&詩 猪俣美智子

*今年は戌年です。楽しく笑って一年が送れますように。

2018年01月22日(月)10時57分

百連凧

ファイル 62-1.jpg$
              百連だこ揚がる   一つ葉浜にて

 お正月に凧揚げをする光景を昨今はほとんど見ません。河川敷で、親子で凧を揚げている姿はもう失われていくのでしょうか。 
 そこで、鮮やかに想い出すのは、1994(平成6)年1月15日に、一つ葉浜において、当所の親子たちと凧揚げをし、その節、楠元幸憲先生自作の百連凧を、自ら揚げていただいた時の様子を振り返ります。

               連凧をとおして
                                       楠元 幸憲
 普通の凧は小さい頃から近所の友達とよく作っていました。しかし、蓮凧を作って揚げるようになったのは約十年前からです。当時家族の年齢を合計すると、ちょうど百歳でした。そこで一本の糸でつないだ百個の凧を新春の大空に揚げてみようというのが蓮凧を作り始めた動機でした。それから毎晩家族そろっての凧つくりです。そのころは要領も悪く思うように出来ませんでしたが、出来上がった凧を一個ずつ数えながら、箱の中になおしていく時のよろこびは格別のものでした。それと出来上がった凧を海岸で揚げた時の、新春の風をいっぱいにうけて、一個一個空高く揚っていくときの喜びと、たこ糸の引きの強さは今でも忘れることは出来ません。
 それ以来クラス担任になると、生徒達と一諸に特活を利用してよく連凧を作っていました。「高校生にもなって……」と最初は、はずかしがっていた生徒達もそのうちに慣れ、一人二個ずつの凧はすぐに出来てしまいました。出来上がった生徒達はグランドに出て凧揚げです。自分たちで竹ヒゴを曲げて、ビニールをはって作った凧ですから出来、不出来はでてきます。当然よく揚がるもの、揚がらないもの出てくるわけです。しかし以前までははずかしそうにしていた生徒達が我を忘れて凧糸を持ってなんとか自分の作ったものを一生懸命走りまわっている姿は、ほほえましいものがありました。つぎは各自が作った凧を一本の蓮凧として揚げるのです。よく揚がる凧もあれば、なかには揚がらない凧もあるわけです。しかし、一本の糸につないだ凧は風をいっぱいうけて次から次と、心配していた凧も空高く揚がっていき生徒達は手をたたいて、声をあげて喜び合いました。そしてこの蓮凧を見て生徒達は、よく揚がる凧は自分でもより高くあがろうと頑張り、よく揚がらない凧があれば少しでも高く引っ張りあげ、また揚がらない凧もなんとか自分で、より高くあがろうと頑張っているからだと感じたと思います。
 「私達も優れたところはより優れたものになるよう頑張り、劣っているところがあれば優れた人に少しでも近ずくように頑張っていきたいものです。お互いに助け合い、協力しながら少しでも立派な人になりたいものです。」と蓮凧を通して話をしています。
 この東高校でもいろいろな方がたくさん頑張っておられます。私はこの学校に来て生徒さんに教えることより、教えてもらったことの方が多かったような気がします。
 ぜひ皆さんも、たくさんの友達と接し、“友に学ぶ”気持ちで頑張ってほしいと思っています。
                 
               百連だこ揚がる
     
 百連だこは、どのようにして揚げるのだろうと、好奇心をもって私は揚げてくださる楠元先生の手さばをきじっと見守った。
 先頭の凧が一つ空中に躍り出すや、次々に又一つ一つと揚がっていく。それはもう一種の生きものである。
 自力で天空をおし分けてぐんぐん揚がっていく。私は今、揚がるという言葉を使っているが、凧は揚げるものと理解していた。何も揚げなくていい。揚がっていくものだ。揚がるというのは国文法でいえば自動詞である。凧が人の手を離れた時、即ちその接点から揚げるが、揚がるに変化する。「今、50個揚がってますよ」と主任保母も見学者全員に揚がると知らしていた。
 あたかも龍さながら天空を泳ぎ昇るさまに熱っぽい感動を覚え、そうだ、子供たちは凧と同じなのだ。自ら未来へ向かっていくすばらしい力を秘めている。子供たちは生まれ落ちた時、もうすでに揚がる凧なのだ。それを支えてくれるのが風=環境なのだ。
 新春の陽光を浴び、海風をいっぱいに受けて百連だこは太陽に向かって揚がっていく。さぐるように可能性を求めてー。
 我々大人は子供たちにとって条件のよい環境を整えてあげよう。今日のような凧日和にー、と観じたのは私だけであろうか。
                                     園長 猪俣美智子
 注:・ 当時の「園だより」より。
・当所のホームページ「保育所のニュース」欄に、その時の様子が宮崎
  日日新聞(1994.1.17)に、又「NHKみやざき630」でテレビ放映さ
  れた記事があります。

このサイトはInternet Explorer 5.0、またはNetscape Navigator 7.0以上のバージョンでご覧ください。
当サイトのテキストおよび画像の無断転載、再配布などはおやめください。
Copyright (C) 2005 曽師保育所 All Rights Reserved.