社会福祉法人 アイリス康友会 曽師保育所 令和4年3月1日完成 建築家 歌一洋 元近畿大学教授
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2019年09月03日(火)12時53分

しし座流星群

 梅雨があけると、夏の夜空を彩る風物詩は花火大会である。日本至るところで、打ち上げられる。打ち上げ花火、仕掛け花火、玩具(おもちゃ)花火、それから線香花火等。過去を思い出して、瀬戸内海で、全国花火競技大会を屋形舟から見たことがある。海面すれすれに花火が現れると、水面に映えて球体をなして見える。花火って球体をなしているのだ、と驚いた。これ以前の夜空に上がる花火は、平面に見えていた。
 そのような花火の記憶に混ざって、決まって「しし座流星群」の体験が脳裏に残っている。
 2001(平成13)年11月9日月曜日。真夜中の2時から4時のこと。その日当地は小春日和。東の空高く、しし座の方向を見つめる。予定時間になると、流星が糸を引いて落ちる。また一つまた一つと、間隔が短くなって、やがてしし座を中心にして四方八方に地上に降り注ぐ。強い光を放ちながら、光の筋を残す。夜空いっぱいに次々。星のシャワーを、両手を広げて全身で浴びる。火球も混ざる。時間にして2時間。
 当時の日記を紐解く。「獅子座流星群を見て感激。人生のすべてを学んだ気持ち。腹いっぱい流星を食べた。流星痕、火球。星は流れるという概念から、星は駆けるに変わる。自分も流れ星で、輝いて生きている。地球号にのって、宇宙を日本の窓から体感」。
 はじめは東の窓から主人と見ていたが、次に外に飛び出して見た。
 あくる日、「しし座流星群を見ずして死なれようか」、「あの世へのお土産ができた」、「生きていて良かった」等と、私の身の周りでは興奮の渦が巻いたのを覚えている。
 今ここに私は、手持ちの線香花火を楽しみながら、世紀の流星、しし座流星群を体感したことは、生きる上で心の糧となっていることを知る。
                                 2019.9.1 猪俣美智子記

2019年08月03日(土)14時17分

「おーい」

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         曽師保育所屋上で遊ぶ子どもたち

「おーい」
天から 子どもたちの声が 降ってきた
見あげると
青空を背中にせおって
呼びかけている

「おーい」と
大きく手をふって 答える
保育所の屋上であそぶ
空のなかの子どもたちに

また「おーい」と 呼びかけてくる
「おーい」と答える
「おーい」と「おーい」のキャッチボール
         
梅雨晴れの空のなか

                                 写真&詩 猪俣美智子

2019年07月05日(金)15時00分

ヤマボウシとハナミズキ

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        吉村通線の街路樹     撮影/2019.6.25

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        咲き誇るヤマボウシ    撮影/2019.6.25

            ヤマボウシとハナミズキ

 当保育所の近く、大淀川に新しい赤江大橋が架けられて開通したのは、2010年11月。市道吉村通線赤江大橋といわれる。橋から南方面には貫通しているが、北の方面へ伸びたのは2年くらい前のこと。まだ貫通しておらず、1Kmくらい続く道路は行き止まり。次回の工事計画らしい。その北への道筋には街路樹が点々と植えられてある。最近気付いた。この梅雨時期を彩る白い花が美しい。見事である。何の花だろう。ネットで検索。ヤマボウシかハナミズキのようだ。区別がつかない。そこで写真を撮り、見比べてみる。どちらにも似ている。
 他日、今度は散歩がてら出向いて観察していると、歩道に散った白い花びらを小まめに掃いているおじさんに出会う。「お掃除、大変ですね」「昨日も掃いたんだが、また散った」と、あまり苦にもせず、せっせと掃いている。自分の家の前だから、きれいにしておきたいのだろう。「これは何という花ですか」と、思い切って尋ねると、「ヤマボウシ」と、はっきり言い切る。私は心の中で、ハナミズキであって欲しいと願っていた想いが覆された。一青窈の歌、「ハナミズキ」の風情をこの街路樹に託していたから。
 実のところ、花びらに見えるのは4枚の白色の総苞片。花は中心にある緑色の粒状で、白い頭巾を被った山法師(ヤマボウシ)に例えて名付けられたと知る。
 山法師とは、比叡山延暦寺の僧徒。特に、平安末期頃から僧兵として武力を振るった者。花ひとつで、奥が深いものだ。
 この原稿を起こしている時に義弟がやって来た。私の撮った写真を見るなり、「ハナミズキですね」と言う。「どうして、分かるの?」と尋ねると、ニュヨークにいたとき事務所の庭に咲いていた。綺麗だったと。
 そして、尾崎行雄(1912年、当時の東京市長)がワシントンにサクラを送った返礼として、ハナミズキが日本に送られてきた。ハナミズキの原産地は北米東部からメキシコ北東部。ヤマボウシは日本の各地の山野に自生する落葉高木であることを私は彼から学ぶ。
 しかし彼はヤマボウシをハナミズキと言った。それほど似つかわし花であることは確かである。
 秋になると、どちらも赤く熟した実をつけて楽しませてくれる。待ち遠しい。
                                  写真&文 猪俣美智子

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