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2018年11月02日(金)11時30分

泥パック

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                    泥パック
   
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         森の腰かけ「イモムシ」 メーカー/マスセット

 当保育所の庭は全体が土で覆われています。子どもたちは一年中裸足で遊びます。春は庭の隅にダンゴムシがおり、手で器に集めて楽しみます。そのあとは、「お家に帰してあげようね」と、戻します。夏になるとポツポツと小さな穴が見られ、セミたちが孵化して出てきます。やがて、近隣はセミの大合唱。秋が過ぎて、冬になると雪こそ降らないけれど、霜柱が立ちます。それでも裸足が当たり前のように遊び呆けます。「霜柱要りませんか」とお店屋さんごっこ。中には足が冷たくなって、日光にあてたり、自分の足に土をかぶせたりして、その暖かさに「あったかーぃ」と発見。
 
 ここで少し時間をもどしましょう。夏の期間、雨が降れば庭の土が緩み、水たまりができます。こことばかりに、その場所目指してパチャパチャ。一角に設置した泥んこ場には大喜び。そして泥を遊具に塗る作業が始まります。常に乗って遊ぶ遊具「イモムシ」の泥パックに余念がありません。たっぷり遊ぶと、お昼の給食が待っています。
 いつも綺麗な「イモムシ」は顔を泥で塗られてもにこにこ。保育士は洗い流しません。
 けれど中には、器に水を入れて洗っている姿もみられますよ。
                                  写真&文 猪俣美智子

2018年10月04日(木)13時02分

沖縄の海

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  2018.8.14 ゆっくりと空を染めながら沈む夕陽 伊計ビーチにて   
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  2014.1.12 渚の乙女たち ANAインターコンチネンタルリゾートにて

                沖縄の海

 5年前の1月、職員旅行で沖縄へ行きました。とても楽しい旅行でしたが、泳ぐことが好きな私にとってはエメラルドグリーンとコバルトブルーの入り混じる海を前にして、入れない事はとても残念でした。珊瑚堆積による白い砂浜に、海は美しく映えて、はてしなく広がっていました。いつかきっと、次は夏の沖縄を楽しみたいと強く思うようになり、5年越しで遂にその想いを叶えられる日がきました。
  お休みをいただいて海水浴の準備も万端、さぁ!待ちに待った沖縄へ。
しかし、そこに立ちはだかったのはまさかの台風。出発も危うい中なんとか沖縄に着陸することができましたが、待っていたのは台風接近による独特の天気で、雨は突然降り風も強いという天候が常に続いていました。予定していたスケジュールも大幅に変更になり限られた中での観光。憧れの真夏の天気の元での海水浴はどこへ、と肩を下ろしどこか残念に思いながら旅行がスタートしました。
 次の日の朝、目を覚ますと明るい空がそこにはありました。これが最後のチャンスと思い雲の少ない方の伊計ビーチへ夫とレンタカーを走らせ、晴天ではないものの十分に綺麗な海と白い砂浜がありました。それから数時間後大雨になり早めの海水浴終了となってしまいましたが、諦めていた海へ入ることが出来たので満足でした。
 最終日の夕方も海へ行きました。空が夕陽でゆっくりと染まっていくなか、頭に浮かんだのは保育所の子どもたちと日々慌ただしく過ぎていく毎日を、改めてゆっくりと考える穏やかな時間となりました。
 帰ってからは旅行の疲れがありましたが、日頃出来ないことを見たり体験したりすることで明日からの保育への活力となりました。
 数日ぶりに会う子どもたちを見てほっとしました。
                    2018.8.15 写真&文 保育士 猪原祐香

2018年09月01日(土)15時43分

オバマ大統領の折り鶴

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        オバマ大統領の折り鶴 原爆資料館

 8月初め、広島を訪れた。広島平和記念資料館に舞い降りたという、オバマ大統領が自ら折った2羽の「折り鶴」の展示を目の前にした。また、資料館の遺物の展示品を見るにつけ胸が締め付けられ、自分の幼い頃の疎開先での戦争体験が蘇る。
 有明海沿いの小さな漁村にいたので戦禍は免れたが、昭和20年8月9日のこと、叔母が仕事先から帰るなり「長崎に新型爆弾が落ちた」、と血相を変えて飛んできた。
 日を追って人の屍体が汽車で運ばれてきて、目の前の学校の講堂にその屍体が並べられ、子どもは近づいてはダメ、病気がうつるから、と厳しく注意された。
 怖いもの見たさで、ある日講堂のそばで、人が両手の先に何か雑巾のようなものをぶら下げていた。後で、剥がれた皮膚が垂れ下がっているのだと知った。
 ここ小さな漁村にもB29の敵機が近づき警戒警報のサイレンが鳴っていた。大丈夫、大牟田へ向かっていると、判断した大人の声に、敵機の飛んでいく方向を見守る。夜中だった。ちょうど海を隔てた真向かいは軍需工場のある大牟田。空から焼夷弾が火の玉のように湧いて降ってくる。次から次に落ちて赤く爆発しては炎上する。怖いというより「わぁ、きれい」と、心の中で思い、見とれていたものだ。
 間もなく、天皇陛下の玉音放送。1945(昭和20)年8月15日終戦。

 疎開列車に乗って母の実家へいく時、満員なので子どもは窓から兵隊さんに預けられた。その膝は暖かく「お嬢ちゃん、これ食べてごらん」と頂いた金平糖の何と美しく、甘かったことは今でも人生のオアシス。
 また、宮崎市内の第6国民学校に通っていたときのこと。警戒警報が鳴ると厚い綿入れの防空頭巾を被って校庭に集まり、急いで家に帰る。庭先に掘られた防空壕へ避難。すると爆弾が、タタタタッと庭を走る。間一髪。それを機に疎開。
 
戦後71年の2016.5.27に広島を訪れたアメリカのバラク・オバマ大統領は所感を述
べられた。
 中で、私たちは戦争は望んでいません。「核保有国」は、恐怖の理論から逃れるべきであって、科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています、との件がある。2羽の折り鶴は何も語らないが、平和への「祈り鶴」と私は受け止める。
                       写真:宮崎康子/文:猪俣美智子
注:オバマ大統領は原爆資料館を訪問した際、4羽の鶴のうち2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は直筆のメッセージに添えてそっと置いたという。  

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