社会福祉法人 アイリス康友会 曽師保育所 令和4年3月1日完成 建築家 歌一洋 元近畿大学教授
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2020年12月31日(木)09時53分

あけましておめでとうございます

新型コロナウイルス感染が一日も早く終息しますように

                                  2021年 元旦

2020年12月08日(火)15時02分

習いごと

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            わが家の三兄弟 内海にて

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             野球少年? 三男(5才)

 うちの3男(5歳)は、幼稚園から帰ると、野球のユニフォームに着替え、兄2人が帰る2時間前から帽子を被って待っています。
少年野球には、小学生から入れないので、早く兄のように野球がしたい3男を我慢させるのが大変です。
兄が帰ったら、みんなでグランドに出発です。

 さかのぼって5年前、長男は1年生から少年野球に入っていますが、全くやる気がなく行くのが嫌で、下校時間になっても帰ってこず、付近の友人と一緒に地区を探した事もありました。(裏からって、押し入れに隠れていました)
七夕の短冊に「野球をやめたいです。」と書いていたこともありました。

悩みました。考えました。
よし、まずは部員と仲良くなろう。
みんなに「うちに遊びに来てよ。」と誘い、自分が寮母みたいだぁと思いながら、大量のおやつを作ったりしました。
次第に毎日沢山の部員が遊びに来るようになり、今では我が子の帰宅よりも早く遊びに来ます。

その他に立てた作戦です。
① 低学年のうちは、無理をせず、試合は欠席し練習のみの参加にする。
 (試合中、ベンチで寝ているので。)
② 休まず行くことだけで十分なので、練習中の砂いじり、虫探しを拒否しない。
③ テレビは、野球のバラエティ番組をつけて、一緒に見る。
 (今は、プロ野球中継をつけ、プレイを解説しながらみんなで見ています。)
④ 未経験の私ですが、チームに混ざり一緒に野球をする。

また、1人1人の子どもを理解してくれる、仏のような監督にも恵まれ、今、長男の頭の中は野球しかないくらい夢中です。

「ハワイ行きたいな」と言うと、「プロ野球選手になって連れて行ってやるから。どれくらい?1週間でいい?」と言ってくれたりします。

目につくところ、直して欲しい所ばかりある長男ですが野球をしている姿は真剣です。
「龍(長男)が1番かっこいいと思えるのは、野球してる姿よ。仲良しの今のメンバーとできるのもあと1年。後悔しないように全力を尽くしなさい。」と話しました。

野球は頭を使うスポーツです。「勉強が出来ないとうまくならない。」と言っています。
文武両道をモットーにしていますが、朝練から夜練まで自主練習をするので、家庭の生活は、みんな野球中心です。
今回、親だけでも90人近くいる保護者会の長をすることになり、今まで以上に野球づくしになると覚悟しています。
しかし、子どものことで大変になれることは幸せなことだなぁと思い、楽しみながら子どもが頑張ることを応援できればいいなと思います。
 
 我が家の場合、他に好きなことがなかったので、野球に夢中になれるよう仕掛けました。
あの時、「やめたい」と言う子どもを応援して良かったと思っています。

3兄弟、野球を通して、人として大事なことを学び、かっこいい大人になってくれたらいいな。

                           写真&文 保育士 村上亜里沙記

2020年11月09日(月)14時54分

ヨアキムさん

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             また、来てくれてありがとう

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              ヨアキムさんと折り鶴

 2016.8.20 ポーランドからヘルシンキ入りして帰国の予定。友だち二人で気軽な旅行でした。お昼過ぎに空港へ着き、HOTEL KAMPに二度目の投宿です。前回は2014.12.21。懐かしかったです。時計を1時間は早め、休憩をして、夕食をとり、港へ散歩に出かけました。かもめが数羽いて人懐っこく飛んでおり、日本のより大きく見えました。夕方9時頃なのに、沖合の空が帯状にピンク、その下がブルーに染まりとても綺麗。10時頃になってうす暗くなり、11時には真っ暗です。
 
 あくる日起きたら、ドアーの扉の前に花びんにさした花が置いてあり、メッセージはありません。「また、来てくれてありがとう」の意味らしい。誰からだろうね、と話しながらフロントの人に聞くと、ヨアキムさんからと教えてくれました。前回の時親切にしてくれた人。お返しは何にしょうかしら、彼はチョコレートが好きでとても凝っている。そんなのは、どこで手に入れたらよいのか、下手にチョコレートもね、二人で思案したのを覚えています。
 
 その日は、セウラサーリへタクシーで行き、一日中観光です。帰りのバスの中で、お返しに折り鶴にしようと決まり、ホテルへ帰り、早速折って、ヨアキムさんに直接上げました。彼は大喜び。日本の鶴は知っているとのこと。写真を撮らしてもらう。
 ヨアキムさんとは、プライベートな話もしてくれ、彼は90歳の母親と家族をトルコに残し、単身このホテルに出稼ぎに来ているという。
 ヘルシンキの政府は難民に住居と生活費を提供している。ポーランドでは、缶ものを集めて生活する人もいる。いろいろ提供されても言葉の壁がある。日本には10人いる。
 となりのホテルには一晩150人中、中国人が100人の時があり、大変賑わっている等々。
 夕方ヘルシンキ発17:25分のヒコーキに乗って帰国の途につきました。

 今、パンデミック中のコロナ禍、ヨアキムさんはどうしているだろか、と友だちと話しています。観光業会のみならず多くのところで痛手を受けています。また、旅行したくとも、コロナが収束するまでは我慢、我慢!
                                    保育士 みなみほなみ

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