社会福祉法人 アイリス康友会 曽師保育所 令和4年3月1日完成 建築家 歌一洋 元近畿大学教授

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2018年09月01日(土)15時43分

オバマ大統領の折り鶴

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        オバマ大統領の折り鶴 原爆資料館

 8月初め、広島を訪れた。広島平和記念資料館に舞い降りたという、オバマ大統領が自ら折った2羽の「折り鶴」の展示を目の前にした。また、資料館の遺物の展示品を見るにつけ胸が締め付けられ、自分の幼い頃の疎開先での戦争体験が蘇る。
 有明海沿いの小さな漁村にいたので戦禍は免れたが、昭和20年8月9日のこと、ロレックスコピー 時計叔母が仕事先から帰るなり「長崎に新型爆弾が落ちた」、と血相を変えて飛んできた。
 日を追って人の屍体が汽車で運ばれてきて、目の前の学校の講堂にその屍体が並べられ、子どもは近づいてはダメ、病気がうつるから、と厳しく注意された。
 怖いもの見たさで、ある日講堂のそばで、人が両手の先に何か雑巾のようなものをぶら下げていた。後で、剥がれた皮膚が垂れ下がっているのだと知った。
 ここ小さな漁村にもB29の敵機が近づき警戒警報のサイレンが鳴っていた。大丈夫、大牟田へ向かっていると、判断した大人の声に、敵機の飛んでいく方向を見守る。夜中だった。ちょうど海を隔てた真向かいは軍需工場のある大牟田。空から焼夷弾が火の玉のように湧いて降ってくる。次から次に落ちて赤く爆発しては炎上する。怖いというより「わぁ、きれい」と、心の中で思い、見とれていたものだ。
 間もなく、天皇陛下の玉音放送。1945(昭和20)年8月15日終戦。

 疎開列車に乗って母の実家へいく時、満員なので子どもは窓から兵隊さんに預けられた。その膝は暖かく「お嬢ちゃん、これ食べてごらん」と頂いた金平糖の何と美しく、甘かったことは今でも人生のオアシス。
 また、宮崎市内の第6国民学校に通っていたときのこと。警戒警報が鳴ると厚い綿入れの防空頭巾を被って校庭に集まり、急いで家に帰る。庭先に掘られた防空壕へ避難。すると爆弾が、タタタタッと庭を走る。間一髪。それを機に疎開。
 
戦後71年の2016.5.27に広島を訪れたアメリカのバラク・オバマ大統領は所感を述
べられた。
 中で、私たちは戦争は望んでいません。「核保有国」は、恐怖の理論から逃れるべきであって、科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています、との件がある。2羽の折り鶴は何も語らないが、平和への「祈り鶴」と私は受け止める。
                       写真:宮崎康子/文:猪俣美智子
注:オバマ大統領は原爆資料館を訪問した際、4羽の鶴のうち2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は直筆のメッセージに添えてそっと置いたという。  

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